努力しない人を見るとイラっとするのは悪なのか?その理由と気づき

私の体験記

※この記事はあくまで私自身の体験をもとにした個人的な意見です。
感じ方には個人差がありますので、ひとつの参考として読んでもらえたら嬉しいです。

素直に言うと、イラッとしていた

正直に言うと、努力しない人を見るとイラッとすることがあった。
自分は苦しい時も、誰にも見られてなくても、コツコツ頑張ってきた。
だからこそ、「なんでこの人は何もせんの?」って思ってしまうことがあった。

なぜそんな感情が湧いたのか

今になって振り返ると、それは「正しさ」ではなく「自分の価値観」だったと思う。
「がんばってきた人こそ報われるべき」
「努力もせずに文句だけ言うな」
そんな思いが、無意識に根っこにあった。

若い頃の仕事で特に感じていた

その感情を一番強く感じていたのは、若い頃の仕事の現場だった。
私は「任されたことはちゃんとやる」「結果を出してなんぼ」って思いで、必死に働いていた。

先輩に追いつこうと、残業してでも成果を出そうとしていた一方で、
まわりには「手を抜くのがうまい人」や「適当に流す人」もいた。

それを見ていると、
「なんで俺ばっかり真面目にやってんの?」
「ちゃんとやってるこっちがバカみたいやん…」
って、心の中がモヤモヤしていた。

「がんばるのが当たり前」だった自分

その頃の私は、「努力するのが当たり前」だと思ってた。
しんどくても、体調が悪くても、気力でなんとかする。
そんなふうにして“結果”を出してきたから、手を抜く人を見ると、
「それで給料もらうの、ずるくない?」って、本気で思ってた。

でも、それって正解なのか?

でもある時ふと気づいた。
「そもそも人にはそれぞれ事情がある」って。

努力できる環境にいること自体、もしかしたら“恵まれてた”のかもしれない。
努力できないのが「怠けているから」ではなく、
心や体に余裕がない、過去の経験が影響している、そんなこともある。

そしてもう一つ、思ったのは──
「イラッとする感情って、結局は“自分の価値観”を相手に当てはめてるから湧いてくるのかもしれない」ということ。

「自分ならこうするのに」
「普通はこうあるべきじゃない?」
そうやって無意識のうちに、自分の“正解”を他人に押し付けようとしていたのかもしれない。

でも他人は、自分とは違う人生を歩いてきた別の人間。
その前提を忘れていたからこそ、イラッとするという感情が湧いていたんだと思う。

イラっとしたのは“羨ましさ”だった?

そしてもう一つ、気づいたことがある。
それは、「自分も本当はサボりたかった」という気持ち。

イラッとする感情の裏には、
「なんで自分ばっかり頑張ってるんやろ…」という
無意識の羨ましさや、我慢を強いられてきた疲れがあったのかもしれない。

気づいたことで、少しだけ優しくなれた

イラっとする自分がいたのは事実。
でもその感情と向き合うことで、自分が何を大事にしてきたのか、
どんな価値観で生きてきたのかが見えてきた。

昔から、「人に優しく、自分に厳しく」と言われて育ってきた。
昭和的な“美徳”として教え込まれてきたけれど、
いつの間にかその言葉に、自分自身が苦しめられていた気がする。

よくよく思い返すと、
そういう生き方をしている人が、必ずしも幸せそうには見えなかった。

いつも我慢して、誰かのために尽くして、
だけど、自分の心は置き去りにされているような──
そんな表情を、私は見てきた。

それから私は、少しずつ考え方を変えた。
「人に優しく、自分には“もっと”優しく」
そう意識するようになってからの方が、不思議と生きていて楽になった。

そして気づいたんです。
自分を大事にして生きていると、なぜか物事もうまくいく気がするって。

心に余裕が生まれて、人に対しても自然と優しくできるようになった。
「頑張りすぎない自分」を許せるようになったことで、
少しずつ、人生が整っていく感覚がある。

さいごに

努力することは、もちろん素晴らしいこと。
でも、自分を犠牲にしてまで“いい人”であろうとしなくてもいい。

「努力しない人が気になる」
その気持ちは、かつての自分もずっと持っていた。

でも今は、
「自分にもっと優しくしていい」
そう思えるようになっただけで、心がすっと軽くなった。

そしてたぶん、これからの時代は、
がんばりすぎない人ほど、うまくいく時代なのかもしれない。


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