母を突然亡くした私が「納骨堂」を選んだ理由

私の体験記

―あれから6年経って、やっぱりこれでよかったと思える―

はじめに

「お墓は建てるもの」「ちゃんと供養しなきゃいけない」
そんな“当たり前”が根付いている中で、私は納骨堂という選択をしました。

母を突然亡くしたのは、私が31歳のとき。
何も話せていなかったし、何も決めていなかった。
だからこそ、自分の中で悩み、考えた末に出した答えが“納骨堂”でした。

この記事では、当時の気持ちや選んだ理由、6年経った今の想いを正直に書いていきます。


母の突然の死と、「どうするの?」という空気

母の死は本当に突然でした。
心の準備なんてできるはずもなく、通夜や葬儀の準備で精一杯。

そんな中で出てきたのが「お墓をどうするのか?」という話。
親戚からは「お墓を建てるのが普通だよ」という声が多く、“建てるのが当然”という空気に押されそうになりました。

でも、私は迷っていました。
母とはお墓の話なんて一度もしたことがなく、「お墓=当たり前」という考えに素直になれなかったんです。


無理してまで建てる必要はあるのか?

私には子どもがいます。
だからこそ思いました。

「親が子に本当に望んでいることって何だろう?」
――無理してお墓を建てることではないはず。

母が望んでいたのは、子どもたちが幸せに暮らしていること。
そう思ったとき、「形式にとらわれすぎず、自分たちが納得できる方法を選びたい」と考えるようになりました。


納骨堂という選択

いろいろ調べる中で見つけたのが“納骨堂”でした。
当時はまだ今ほど一般的ではなく、正直最初は不安もありました。

でも実際に見学に行ってみると、清潔で静かな空間が広がっていて、心がすっと落ち着いたのを覚えています。
形式に縛られていないけれど、きちんと手を合わせられる場所。

そのとき「ここがいい」と自然に思えました。
それが私たち家族にとっての、無理のない・でも心のこもった選択でした。


あれから6年。やっぱり納骨堂でよかった

それから6年が経ちました。
今振り返っても、「納骨堂を選んでよかった」と心から思っています。

理由はいくつかあります。

  • 管理がきちんとしていて安心できる
  • 遠方からでも気軽にお参りできる
  • 形式にとらわれない、でもちゃんと祈れる空間がある

最近では、海や山、宇宙に散骨する“自然葬”も注目されています。
でも私は、やっぱり“祈る場所”があることに意味を感じています。
何もしないという選択は、私には少し寂しかった。

納骨堂は、私たちにとって“ちょうどよい距離感”で母とつながれる場所になっています。


最後に:悩んでいる人へ伝えたいこと

お墓、納骨堂、自然葬――どれが正解というものはありません。
でも、「こうするべき」という外からの声ではなく、
自分たちの気持ちに素直に向き合って決めていいと思います。

私は、納骨堂という選択をしたことに一切の後悔はありません。
それは安さや簡単さではなく、「これでよかった」と思える心の納得感があるからです。

同じように悩んでいる方がいたら、
「あなたにとってちょうどいい供養の形」を、ぜひ探してみてください。

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