街中の“異様な日常”に、気づいてしまった話
※この記事は、あくまで私自身の体験談や感じたことを元に書いています。
感じ方や考え方は人それぞれあると思いますので、あくまで一つの参考例として読んでいただけたら嬉しいです。
はじめに
少し前に話題になった『スマホ脳』という本を読みました。
スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンが書いたこの本は、スマホが脳にどんな影響を与えるのか、科学的にかなり深掘りしてくれています。
読みながら、何度も「うわ…これ、完全に自分のことだ」と感じました。
そして、街中を歩いたときにふと気づいたんです。
「あれ?みんな…スマホ見てない?」
『スマホ脳』で印象に残ったこと
この本で特に衝撃だったのは、以下のような点でした。
- スマホを使うだけで、集中力が低下する
- 通知が来るだけで脳はドーパミンを出し、快感を感じる
- SNSは脳にとって「承認欲求中毒」を引き起こす
- 寝る前のスマホは、深い睡眠を奪ってしまう
つまり、スマホは現代人の“脳”に強く影響を与えているのに、それに気づかずに依存してしまっている…ということ。
街中で見かけた“異様な光景”
その本を読み終えた数日後、意識して周りを見てみると、衝撃を受けました。
ほとんどの人がスマホを見てる。
学生も、サラリーマンも、お年寄りも。
一人で立っていても、カップルで並んでいても、会話もなくスマホを見てる。
まるで“スマホに支配されている社会”の中に、自分もいたことに気づいて、ゾッとしました。
自分も他人事じゃなかった
―「なんとなくスマホ」と「目的を持ったスマホ」は、まるで違う
正直、私もスマホを手放せないタイプです。
ちょっとした空き時間があれば、無意識にスマホを開いて、SNSをチェックしてしまう。
でも、ふと気づいたんです。
同じようにスマホを見ているのに、「疲れる時」と「そうでもない時」がある。
なぜなのかを自分なりに考えてみたとき、
一番しっくりきたのが「目的意識があるかどうか」でした。
「これが知りたい」「この情報を調べたい」と明確な目的があってスマホを使っているときは、
たとえ長時間見ていても、それほど疲れを感じません。むしろ“自分で使ってる”という感覚がある。
でも、なんとなく開いてSNSをだらだら見ていると、
終わったあとにどっと疲れて、頭の中がぼんやりしてくるんですよね。
身体を動かして疲れるのとはまた違う、
じわじわと精神に残るような、妙な重だるさ。
私はこの違いって、
「スマホそのものが悪い」んじゃなくて、「スマホとの向き合い方」が大きいんじゃないのかなって感じました。
スマホを敵視する必要はないけど、
自分の意識がどこに向いてるかで、疲れ方や満足感もずいぶん変わる気がします。
私が実践していること
スマホをゼロにするのは現実的じゃないけど、距離のとり方は変えられると思っています。
私が実際にやってみたこと。
- SNSの通知をすべてオフにした
- 寝る1時間前からスマホを触らないよう意識
- トイレや移動中、あえてスマホを開かず「ぼーっとする時間」をつくる
- ホーム画面をモノクロに設定して、“魅力”を薄くする
たったこれだけでも、スマホへの意識は大きく変わりました。
最後に伝えたいこと
スマホは便利です。私も大いに活用しています。
でも、あくまで“使う側”でいたい。
そして、使うときは**「何のために使うのか?」という意識を持つこと**。
それだけで、スマホとの付き合い方はきっと変わってくるはずです。
無意識に使うスマホは、心を削る。
意識をもって使うスマホは、力になる。
これはあくまで私自身の実感だけれど、
スマホを見る“意識の向け方”によって、疲れ方が変わるというのは、意外と大きなポイントなんじゃないかなと思っています。
そして、もし時間があれば
📘**『スマホ脳』**を一度読んでみてください。
きっと、今のスマホ社会に対して「そうだったのか」と思える発見があるはずです。
コメント